メディナ・フェスティバル再びLotfi Bouchnak: A Chosen Being arab-music.com
松田嘉子のエッセー No.18

メディナ・フェスティバル再び
松田嘉子


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第23回メディナ・フェスティバル

 私たち日本人のアラブ古典音楽アンサンブル、ル・クラブ・バシュラフは、嬉しいことに、チュニジアの伝統ある音楽祭メディナ・フェスティバルに、2年連続で招聘されました。2004年の第22回フェスティバルについては、「チュニジア通信」第18号に詳しく書きましたが、再び第23回フェスティバル(2005年10月7日〜29日)について、ご報告させていただきたいと思います。

 メディナ・フェスティバルは、毎年ラマダン期間中に、メディナ(チュニス旧市街)を中心として行われる国際音楽祭。この度も、世界各地からさまざまなアーティストが集まりました。

 地元チュニジアからは、アリ・スリティ、ロトフィ・ブシュナークなどの常連をはじめ、ウード奏者リアド・フェヘリのアンサンブル、ウード奏者ハリッド・ベン・ヤヒヤのトリオ、同じくウード奏者のムハンマド・メジュリーなど。またソニア・ムバラク、ナビハ・カラウリ、ズィアド・ガルサ、ズィン・ハッダードなどの歌手たち。レバノンからは、女性歌手ヒバ・カワースが国立交響楽団とともに。エジプトからはヘフニー・アンサンブル。他にモロッコの歌手フアド・ザバディ、イラクの少年ウード奏者ビラール・ワスィム、シリアの歌手キナーン・バシャなどなど、蒼々たる顔ぶれ。そして何と言ってもこの年最大の目玉は、シリアの大歌手サバーフ・ファクリでした。

 アラブ圏以外からも、フランス、イタリア、ポルトガル、セネガル、アルゼンチン、アメリカ、ロシアなど、多くの国のさまざまなジャンルのグループが参加しました。日によっては、音楽のコンサートだけでなく、映画の上映や、詩の朗読、歴史学者による講演などが、プログラムに入っていることもあります。こうして3週間以上にわたって毎晩、多彩な芸術の夕べが繰り広げられました。


委員会のホスピタリティ

 メディナ・フェスティバルに招かれる度に、真のホスピタリティとは何かということを、教えられるような気がします。委員会は、コンサートまで何日あろうと、基本的にほおっておいてくれるので、私たちは自分の時間がすべて好きに使えます。寝起きや食事、外出などはもちろん自由ですし、リハーサルをしたければ、いつでもホテルのホールを借りられます。長旅で疲れた身体を休め、公演に向かって調子を整えるためには、これが一番ありがたいことです。本番の日になってはじめて、迎えの車が何時に来ると電話が入りますが、これが唯一のスケジュールらしきものです。

 チュニジアの人たちは、「あなたのお好きなように」とよく言うように、相手の望むようにするのが一番の持てなしであることを、長い歴史を通じて知っているようです。もちろん、相手が何かを求めたり、困ったりしていれば、いつでも飛んできて助けてくれます。

 こうして私たちは昼の時間を、おもに休息と練習とさまざまな人たちとの交流のために使い、夜は毎晩好きなコンサートを見にゆくという、最高の贅沢をさせてもらいます。


主な公演より

 今回のフェスティバルで見た公演の中から、とくに3つをご紹介したいと思います。

 まず、10月19日に市立劇場で公演したエジプトのヘフニー・アンサンブル。前にも書いたように、これはラティーバ・ヘフニー博士の有する楽団です。ラティーバ女史自身も、楽団に付き添ってチュニスに来ておられました。私たちはカイロ・オペラハウス第11回アラブ音楽祭に招かれて以来、エジプトで何度もお会いしています。父の代から高名な音楽学者で、エジプト音楽界の重鎮でありながら、きさくで若い人たちの教育にも熱心なラティーバ女史が、私は大好きです。

 第1ヴァイオリン奏者のムハンマド・ムスタファ、コントラバス奏者のアブドゥ・カタルといった大ベテランを別とすれば、ヘフニー・アンサンブルのメンバーは固定ではなく、ウード、カヌーン、ナイ、レクなどは、1つの楽器のポジションに対して、数人の奏者がいます。今回のチュニジアには、ウードはハズィム・シャヒーン、ナイはハニー・バドリー、レクはハイサム・ファルガリーが来ていました。彼らは皆私たちの親しい友人でもあります。

 ヘフニー・アンサンブルのレパートリーは、20世紀のエジプト音楽黄金時代の作品です。ムハンマド・アブデルワハーブ作曲の洒落た器楽曲や、ウンム・クルスームの歌った名曲など。チュニジアの聴衆も、こうした音楽をこよなく愛しています。今回は女性歌手ニハード・フェトヒとピアニストのアムル・スリムが参加していましたが、この盲目の名ピアニストの奏でる繊細なフレーズは、とりわけ聴衆の心を揺さぶったようでした。

 シリアの大歌手サバーフ・ファクリが、この年初めてチュニジア・メディナ音楽祭に出演するというので、前々から大評判になっていました。チュニス市立劇場で10月22日(土)から3夜連続公演。チケットは早くから完売、それでもチケットを求めて集まる人々が毎夜劇場の外に溢れていました。

 サバーフ・ファクリは、ワスラと呼ばれる古典音楽の典型的なプログラムでコンサートを行います。楽団による序曲(器楽曲サマイなど)で開演。その演奏が終わるとおもむろにサバーフ・ファクリが登場し、序曲と同じマカーム(旋法)で、伝統的なムワッシャハー(古典詩に作曲された歌)を次々と歌い続けます。時にウードなどの単独楽器が素晴らしい即興演奏を披露。もちろんサバーフ・ファクリの楽団は、器楽奏者もコーラスも一流です。

 持ち前の朗々とした力強い声で、観客を魅了し続けた連続公演でしたが、報道や周囲の人たちの話によると、この音楽祭のサバーフ・ファクリは、かなり神経質になっていたとのこと。そう言えば3年前にカイロ・オペラハウスの音楽祭で一緒だった時は、ホテルの食堂で会うと冗談を言ったりしたものでしたが、今回は他の人たちとの接触を極力避けているようにも見えました。考えてみればもう72歳にもなるというので、スケジュールや体調管理に相当注意をしているのでしょう。チュニジアには、若くてハンサムな息子アナースが付き添い、マネージャー役をしていました。アラビア語しか話さないお父さんと違って、彼は英語もフランス語も流暢で愛想よく、ジャーナリストの相手もてきぱきとこなします。私はサバーフ・ファクリのような音楽を、息子が受け継いでいるのか興味があって聞いてみましたが、アナースは西洋クラシック音楽の教育を受けた後、今は時々趣味でハードロックなどをやるのだそうです。

 10月25日、市立劇場で、チュニジア音楽を愛する者にとってはとりわけ興味深いコンサートがありました。カメル・フェルジャーニの指揮と構成による、チュニジア音楽の夕べ。カメル・フェルジャーニはウード奏者で作曲家、チュニス高等音楽院教授。アラブ音楽に西洋のハーモニーも加えた新しい表現を追求する「地中海音楽オーケストラ」の創設者であり、指揮者です。この楽団の伴奏によって、男女4人の歌手ズィアド・ガルサ、ソニア・ムバラク、ズィン・ハッダード、ナビハ・カラウリが順に登場して、ケマイス・テルナン、ムハンマド・トゥリーキー、ヘディ・ジュイニー、アリ・リアヒーなど、20世紀チュニジアの代表的な作曲家による名曲を歌いました。どの歌手も素晴らしいのですが、とくに注目したのは、ズィアド・ガルサ。彼は近年亡くなった、チュニジア古典音楽マルーフの大御所ターヘル・ガルサの息子です。大音楽家サラーフ・マハディ氏も「お父さんよりうまい」と絶賛するこの若い歌手を、前年はあいにく聞き逃したのですが、今度は幸い見ることができました。父と同じく、今は演奏する人も少なくなった4弦のチュニジアン・ウードを弾きながら歌います。端正なウードの響きと、澄んだ美しい歌声には、マルーフの正統な継承者の風格が漂っていました。


ル・クラブ・バシュラフ公演

   ル・クラブ・バシュラフは、10月23日(日)、メディナのクラブ・ターヘル・ハッダードでコンサートを行ないました。この場所は、よく知られた館ダール・ラスラムのマフゼンです。マフゼンとは、貴族の館に隣接して貯蔵庫や厩舎として用いられた建物で、フランス語のマガザン(お店)の語源でもあるそうです。レンガでできた太い柱やアーチ型の天井などが、面白い雰囲気を醸し出していました。現在ここはサロン風カフェとして、また映画、コンサート、絵画展などの会場として使われています。

 この日は市立劇場のサバーフ・ファクリにお客さんを全部持っていかれるかと心配しましたが、幸い満席でした。フレンドリーな観客に支えられて私たちの演奏は順調に進み、最後の曲を終えた時、スタンディングオベーションとアンコールをいただいたのには、感激しました。毎日いろいろなコンサートを見ていますが、アンコールはめったにないからです。私たちの演奏する様子は、インタビューも交えながら、後日テレビ放送(TV7およびHannabalの2局)で流され、おかげで会場に来られなかった多くの人々の目にも触れることになりました。メディナ・フェスティバルの報告を毎日載せるラ・プレス紙やル・トン紙にも、写真入りで大きく報道されたので、街頭で思いがけなく声をかけられることもありました。

 今回私たちのメディナ音楽祭のコンサートは1日だけでしたが、滞在中に他で2回、演奏の機会をいただきました。

 10月26日、かつて留学生として日本に8年滞在し、現在はチュニジア教育省審議官であるターレク・シェヒディ氏の紹介で、リセ・ブルギバのコンサートに特別出演しました。リセ・ブルギバは、パリ通りの高等音楽院の隣にあり、フランス保護領時代にリセ・カルノーとして建てられた学校が、独立後名前を変えたもの。歴史が長いだけに、チュニジアで一二を争う名門校で、絵画や音楽など芸術活動も盛んです。学校内に、やはり80年前に建てられたという立派な劇場があり、コンサートはそこで行われました。観客は、複数のリセから集まった数百人もの学生たちと父兄、来賓。アラビア語で簡単な挨拶をしながら、チュニジア音楽を演奏する日本人グループに、若い観客たちは大喜び。こちらも楽しく演奏し、終了後は、列席されたサドク・コルビ教育大臣からメダルを贈呈されるという栄誉にあずかりました。その後コルビ教育大臣はジェルバ島県知事に会い、私たちを絶賛とともに紹介してくれたそうで、近い将来ジェルバ島コンサートが実現しそうです。

 翌27日には、小野安昭大使主催により日本大使公邸でコンサート。急な呼びかけにもかかわらず、初代駐日大使のベン・ヤヒヤ夫妻、メジュドゥーブ前駐日大使をはじめ、70人を越す名士たちが集まり、公邸のサロンは小コンサートホールのような雰囲気になりました。芸術家では、前年のメディナ音楽祭も聞いてくれたチュニジアの名優ムハンマド・ドゥリス、尊敬する音楽家ロトフィ・ブシュナークやソニア・ムバラクなどが、列席してくれました。

 私たち日本人のアラブ音楽演奏家にとって、その音楽を理解する聴衆の前で演奏し、評価を得られることは最大の喜びです。そしてもちろん、たくさんの課題も得られます。こうした経験を重ねる度に、新たな目標が生まれ、自分を高めていく機会にできるということは、この上ない幸せです。委員長モフタール・ラサア氏をはじめ、メディナ・フェスティバル委員会、そして暖かいチュニジアの聴衆に、この場をお借りして、心から感謝の意を捧げます。

『チュニジア通信』第19号(2006年4月25日 日本チュニジア協会発行)に執筆したものを転載しました。 Copyright(c)2006 All Rights Reserved.

LCB2005年メディナフェスティバル公演
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