ロトフィ・ブシュナーク 〜選ばれた存在〜Lotfi Bouchnak: A Chosen Being arab-music.com
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松田嘉子のエッセー No.17

ロトフィ・ブシュナーク 〜選ばれた存在〜
松田嘉子(ウード奏者・多摩美術大学教授)


lotfi_bouchnak_japan01.jpg アラブ音楽における偉大な歌手

 アラブ音楽の伝統において、音楽の中心にはまず歌があった。たとえばアラブ・アンダルシア音楽の遺産であり、北アフリカに伝わるヌーバは「歌と器楽の組曲」と呼ばれるが、実際には歌のパートが主であり、歌を連続して楽しむための仕組みであると言える。そこでの器楽のおもな役割は、歌へのスムーズな導入をはたし、歌われた旋律を繰り返し、歌のない部分を埋めることである。ヌーバにおける独立した器楽のパート(チュニジアではトゥシアと呼ぶ)は、トルコ音楽の影響を受けて、18世紀以降につけ加えられたとされる。マシュリク(東アラブ)を含めアラブ圏全体を見ても、器楽は16世紀以降オスマン・トルコの宮廷音楽や西洋音楽との交流により発展した部分が大きい。

 したがって言うまでもなく、アラブ音楽における歌手の地位は高い。とりわけソロで歌う花形歌手には、さまざまな資質と技量が要求される。美しい声や豊かな声量と声域はもちろん、詩と雄弁を最高の美徳としてきたアラブ人たちを納得させる正確なことばの発音に加え、必要に応じてメロディを変化させること、ときには歌の即興に入ること、あるいはその場で詩句までも創り出すこと、などなどである。いずれも、アラブ音楽の旋法に対する深い知識と、豊かな文学的教養やセンス、即興性が不可欠となる。

 そのような才能に恵まれた素晴らしい歌手の歌声を、一晩中聞いて楽しむことはサハラ(夕べ)と呼ばれた。サハラをこなし、聴衆にタラブを与えられる歌手が最高の歌手である。タラブとは、これもアラブ人がよく口にすることばで、音楽や歌によって得られる恍惚、陶酔の状態を言う。10世紀アル・イスバハーニーに記録された「歌の書」の時代から、名歌手の歌う恋歌に我を忘れて衣服をひきさいてしまったカリフの話など、タラブにまつわる話は枚挙にいとまがない。音楽の理想はタラブなのである。

 ウンム・クルスームもムハンマド・アブデルワハーブも亡き現在、アラブ世界で真に聴衆をタラブに誘う力量のある歌手は、けして多くない。シリアのサバーフ・ファクリ、レバノンのフェイルーズやワディ・アッサフィらと並んで、チュニジアのロトフィ・ブシュナークは、その貴重な一人、まさに選ばれた存在である。

レパートリー

 ロトフィ・ブシュナークは、古典から現代曲に至るまで、幅広いレパートリーを持っている。1970年代から音楽活動を始めたロトフィ・ブシュナークは、チュニジアのウードの巨匠アリ・スリティのもとでも学ぶ。まもなくソロ歌手として頭角を現し、アヌワル・ブラヒムなど優れた音楽家たちが彼に曲を提供するようになった。90年代からはエジプトのカイロ・オペラハウスを毎回満席にする国際的なスターとなり、1993年フランスの世界文化会館のプロデュースによってCD「チュニジアのマルーフ」をリリース。前述したヌーバを中心とするアラブ・アンダルシア音楽の遺産を、チュニジアではマルーフと呼ぶが、彼の歌によってチュニジアの古典音楽マルーフもまた、世界の人々によく知られることとなった。
 ではロトフィ・ブシュナークが録音したマルーフの中から、それらがどのような歌なのか、一部を拙訳でご紹介しよう。

  ザーラニー・ムンヤティ (私の希望が訪れた)
  (12世紀アンダルシアの詩人イブン・ズフル・アル・ハーフィドの詩に、20世紀チュニジアの音楽家ムハンマド・ガーニムが作曲)

私の希望(いとしい人)が私のもとを訪れ 時を楽しみで満たし 心を晴らした
私の燃える気持ちを 砂糖のような 甘い口づけで癒した
私は言った おお私の希望のすべてよ 月の夜に夜明かしをするのは何と素晴らしいの

ジスミー・ファーニー (あなたへの愛で身も細る)

私の身体は あなたへの愛のために 細ってしまう
そしてあなたへの想いは ますます募る
私はね あなた以外は誰も愛していない
アイードの月よ
あなたに会うと 私は気が変になる
あなたの小さな心は 鉄でできているの?

 マルーフには、こうした珠玉の詩篇が、宇宙の星雲のようにちりばめられている。歌のテーマは、愛、自然、酒、神、失われた故郷・・・など、多岐にわたる。つまりは人生全般に関わるわけだが、中でも、恋人を美しく形容したり、愛する人との別離を惜しむ歌など、愛をテーマにした詩が圧倒的に多い。

 ロトフィ・ブシュナークのレパートリーはチュニジア伝統音楽だけに限らない。アラブ世界全体の音楽遺産、古典詩による歌曲形式ムワッシャハー。ロトフィ・ブシュナークがよくステージで歌う、とくに有名なムワッシャハーの一つを、やはり拙訳でご紹介したい。

  ランマー・バダー・ヤタサンナ(彼女が現れた時)

彼女が緩やかに身体を揺らしながら歩き始めた時
その美しさが私をうちのめした

私は彼女の瞳の囚われ人となり
彼女は身をかがめた

ああ私の約束 ああ私の困惑
愛と苦悩に関する私の嘆きに
応えてくれるのは
その美しい人のみ

 またロトフィ・ブシュナークは、20世紀エジプトの偉大な芸術家たちの作品も、得意とする。たとえばウンム・クルスームの主演映画「ファティマ」(1946)のために作られた歌「イル・ワルド・ガミール」(花は美しく)。マフムード・ベイラム・トゥニスィ作詞、ザカリーヤ・アフマッド作曲で一世を風靡し、作曲家自身も歌ったこの曲を、ロトフィ・ブシュナークは、まさにザカリーヤ・アフマッドを彷彿とさせる声で歌い上げ、往年のファンたちを満足させる。また、そのエジプトにおけるコンサート録音の中で、「ヤー・フル、ヤー・ルーフ、ヤー・ルーヒッルーフ」つまり「おお魂のフル(フルは薫り高い花の名前)よ・・・」という歌詞を、途中で即興的に「ヤー・マスル、ヤー・ルーフ、ヤー・ルーヒッルーフ、・・・ヤー・トゥニス、ヤー・ルーフ、ヤー・ルーヒッルーフ、」つまり「おお魂のエジプトよ、・・・おお魂のチュニジアよ」と言い換えて、大喝采を浴びた。これがロトフィ・ブシュナークの真骨頂である。エジプト音楽に対する深い敬愛の念と、チュニジア人であるというアイデンティティを、同時に名曲の中に詠み込んだのだ。知性あふれる即興性。いつ見てもつねに新しい彼のパフォーマンスの秘密は、そこにある。

 さらに、すぐれたウード奏者で作曲家でもあるロトフィ・ブシュナークは、近年オリジナル作品の演奏にも力を注いでいる。私が一番最近見た公演は、2005年10月のチュニジアにおける2回の公演であった。音楽を愛した王ムハンマド・ラシッド・ベイのコッバート・ナハース宮殿での公演、およびメディナ・フェスティバルにおける市立劇場での公演である。終演後に話をした時、コンサート演目のほとんどが自分の作曲だったと言う彼には、円熟した作曲家としての並々ならぬ自信がうかがえた。実際、チュニジア独特のムハイエル・スィカ旋法のメロディが美しい「ナーサーヤ」 (忘れる人)などいくつもの楽曲が、すでに誰もがよく知る古典となりつつある。  すなわちロトフィ・ブシュナークは、アラブ芸術音楽の正統な継承者でありながら、つねに新しい音楽を開拓していく、クリエイティブな音楽家であり続ける。

最高のステージを分かち合う

 思えば私がロトフィ・ブシュナークの公演を初めて生で見たのは、もう十年以上も前のことになる。その時の印象は、とりわけ観客を大切にする人だということだった。そもそもアラブ音楽は、アーティストと聴衆のインタラクティブな関係により成り立つ音楽だから、どんな音楽家も観客の反応を敏感に受けとめるし、それによってパフォーマンスも違ってくるものだが、彼はステージに立つ時、観客に手を高く上げて挨拶する。歌って喝采を浴びると、さらに手を振ったり、感謝の意を表したり、ほんとうに客とよくコミュニケーションする。その後何度も彼のステージを見ることになったが、ますますその印象を強くした。観客に向かって呼びかけ、ときには観客にも歌の一部を歌わせ (チュニジアの聴衆は皆、彼の歌をよく知っている)、聴衆全体を素晴らしい歓喜、恍惚すなわちタラブの瞬間へと導いていくのが彼のスタイルだ。

 また、ロトフィ・ブシュナークを支える楽団は、もちろん最良の音楽家たちである。たとえば、弦楽器カーヌーン。歌手が即興のメロディを歌う時、そのメロディをもっとも忠実に再現できるのが最高のカーヌーン奏者と言われ、大歌手はたいてい、自分の気に入りのカーヌーン奏者を持っているものだ。タウフィーク・ズゴンダは、つねにロトフィ・ブシュナークを支えてきた偉大な演奏家である。今回の来日公演には、カーヌーンの他、名バイオリン奏者ベシール・セルミら、一流の奏者たちが脇を固める。

 ロトフィ・ブシュナークは、そのステージにおいても伝統を尊び、歌に続けてバイオリンなどの単独楽器がタクスィーム(即興演奏)を演奏し、それに導かれるようにして、歌手がまたマワル(歌による即興)を行う。そしてさらに次の歌へと移行する。歌をメドレーとしてつなぐときは、同じリズムでじつにスムーズにつなぐこともあれば、あえて違うリズムの歌をつなぎ、リズムや速度の変化を楽しむことも多い。そうした連結やプリゼンテーションの技法自体が、いずれもアラブ音楽の長い豊かな歴史の中で培われて来たものである。いつしか聴衆は、さまざまな独特の旋法の雰囲気にひたり、美しく息の長い旋律を、歌と器楽で十全に楽しみ、知らず知らずのうちに、えも言われぬ陶酔へと誘われることだろう。もっとも甘美で洗練されたアラブ芸術音楽の粋を、アーティストと私たちは、こうして分かち合うことができるだろう。

ロトフィ・ブシュナーク日本公演パンフレット(2006年3月・国際交流基金)に執筆したものを転載しました。
写真撮影:高木厚子(提供・国際交流基金)

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ロトフィ・ブシュナーク日本公演
国際交流基金のウェブサイト
ロトフィ・ブシュナーク日本公演を終えて(国際交流基金・鶴井百合奈)



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