チュニジア・メディナフェスティバル Tunisia Medina Festival - Yoshiko Matsuda arab-music.com
松田嘉子のエッセー No.16

チュニジア・メディナフェスティバル




Festival de la Medina ラマダン

 イスラム歴の9月にあたるラマダンが、断食の月であることは、日本でもよく知られるようになった。断食は、苦行というイメージかもしれない。しかし、みんなで一緒に空腹をこらえ、日没と同時に家族や友人とともに食卓を囲みご馳走をいただくという、実はそのこと自体を楽しんでいるような、特別な行事でもある。そしてお腹が満たされた夜には、人々はそぞろ外へ出て、散歩をしたり、カフェでおしゃべりに興じたり、コンサートに足を運んだりする。



メディナ・フェスティバル

  メディナ・フェスティバルは、チュニジアで毎年ラマダンの時期に行われる国際音楽祭。チュニスの旧市街メディナにある、昔の貴族の館や学校など由緒ある建物を会場として、期間中毎晩コンサートが催される。アラブ音楽が中心だが、他のジャンルの世界的アーティストも出演する。

  チュニジアには、他にもカルタゴ、ハマメットなど有名なフェスティバルがある。しかし、近年多くは流行りのポップス歌手などが中心となり、真の芸術愛好家たちを満足させない、とチュニジア人たちは言う。そんな中にあってメディナ音楽祭は、古典音楽や伝統音楽が中心で、しかし良いものであればアバンギャルドなものやポピュラー音楽も選択するという真摯な姿勢により、幅広い聴衆に支持されている。

  フェスティバルの委員長、モフタール・ラサア氏はジャーナリストであり、第22回音楽祭の意義を次のように述べている。「今日これほどの憎悪と不正と軍靴の響きに恐怖を感じる世の中において、人々の心を近づけるための、これ以上によい文明の対話、他者への開示、相互理解があるでしょうか。私たちのフェスティバルは、悩める砂漠の恐怖の水場における、温もりと美と飛躍の小島なのです。」

  2004年の第22回メディナ・フェスティバル(10月20日〜11月11日)の顔ぶれは、じつに多彩である。チュニジアからは、ロトフィ・ブッシュナーク、ズィヤド・ガルサ、ドルサフ・ハムダーニに加え、ハリッド・ベン・ヤヒヤ・トリオやチュニス市立アンサンブルなど。エジプトからはメイ・ファルークとヘフニィ・アンサンブル。トルコからも古典音楽団。実験的な音楽としては、レバノンのカミリア・ジュブランとヴェルナー・ハスラーのデュオ、マフムード・トルクメニ・グループなど。アフリカからはセネガルのイスマイル・ローや、カボ・ヴェルデのチェザリア・エヴォラ。さらに、シャンソンの大御所ジョルジュ・ムスタキ、ニューオリンズのゴスペルグループ、マイティ・チャリオッツ・オブ・ファイヤー。他にも、パキスタンのカッワッリー、チュニジアのスーラミーヤなどの宗教音楽、ポルトガルのファド、さらにスペイン、アルジェリア、イタリアなど、全部で30ほどのアーティストやグループが出演した。

 そして幸運なことに、私たち日本人アラブ古典音楽グループ、ル・クラブ・バシュラフもこのフェスティバルに招かれた。委員長モフタール氏から直接お声をかけていただき、2回公演の機会を与えられた。2001年にはアンサンブル・ヤスミンというグループで、チュニジア文化省後援によるチュニジア公演ツアーを行ったこともあるが、つねづねチュニスっ子たちから「ぜひメディナ・フェスティバルに出るといい」と言われていた。いよいよそれに出られることになって、嬉しかった。

   フェスティバル委員会は、チュニスの最高級ホテルの一つ、ホテル・エル・ハナに事務所をかまえているので、アーティストたちは皆そこに宿泊する。国際的なフェスティバルに出演する時の最大の楽しみは、多くのステージを見て、素晴らしい音楽家たちと知り合えることである。このチュニジアのメディナ・フェスティバルはとくに、開催期間中、出演者は可能な限り長く滞在してよいというので驚いた。ふつうは自分の出演日の前後数日間しかいられず、それ以上滞在したければ自費になるケースも少なくないからだ。

 委員長モフタール氏は言う。「芸術家たちが、自分のコンサートをするだけでなく、他の公演を見て、お互いに交流してほしいのですよ。」何と寛大で創造的な発想だろう。おかげで毎日のように思いがけない出会いがあり、その後も続く貴重な友人をたくさん得た。



歌に酔い、リズムにのって

 メディナ・フェスティバルでは、アーティストとその公演会場は、よく考えられ、選ばれているようだ。いくつか、私の見た公演をあげてみよう。

 ブルギバ通りをはさんで、ホテル・エル・ハナの前には大きなテアトル (市立劇場)があるが、出演者の中でもとくに有名なスターや大きな楽団は、ここで公演する。
 テアトルで2回公演 (10月29日と31日)し、両日とも満席にしたのは、エジプトの正統派歌手メイ・ファルークと伴奏のヘフニィ・アンサンブルの公演。ヘフニィ・アンサンブルは、ラティーバ・ヘフニィ女史の所有する室内楽団である。メイ・ファルークはウンム・クルスームの50年代と60年代のレパートリーを歌い、大喝采を浴びた。

 11月1日、チュニジアの大歌手ロトフィ・ブッシュナークのコンサート。少し前に入院して健康が案じられていた彼は、それをみじんも感じさせない見事な復帰ぶりで、チュニジアの古典音楽マルーフから、アヌワル・ブラヒム作曲の現代的な曲に至るまで、休憩なしに2時間半も歌い続け、満員の客を感動の渦に巻き込んだ。以前にも彼の公演を見たことがあったが、評判どおりメディナ・フェスティバルのステージは最高だった。音楽を本当に愛し、わかっている通の客が聞く年間最高の機会ということで、選曲にも特別に心血を注ぐのだという。

 11月3日には、イズミールから来た国立トルコ古典音楽団が、典雅な器楽曲や男女2人の歌手の美しい歌声で、観客を酔わせた。
 チュニジアの人々にも大人気のセネガル人歌手イスマイル・ローのコンサートは、フェスティバルも終盤に近づいた11月8日。伸びのよい声とノリノリのリズムで、最高の気分。
 テアトルに大観衆が集まる一方、メディナの入り組んだ道の奥に点在する館(ダール)では、小編成のグループの演奏や、意欲的・芸術的な試みが展開する。中でもよく知られるダール・ラスラムは、装飾タイルや高い天井、円柱などが美しい瀟洒な建物だ。

 11月2日。スイス在住レバノン人作曲家マフムード・トルクメニのグループの演奏。彼自身はウードとギターを弾き、女性ヴォーカルが一人。他のミュージシャン8人はエジプト人でその半分はナスィール・シャンマのオユーンにも参加している。オリジナル曲の多くは現代音楽風で無調。高度に知的な音楽で、アラブ古典歌謡を現代風にアレンジしたものもあったが、保守的な聴衆には受け入れられなかったようだ。後でトルクメニは「わかる人だけが聴けばいいさ!」と、お茶目な笑顔を見せた。

 11月4日、ウード奏者ハリッド・ベン・ヤヒヤのトリオ。ベシール・セルミのヴァイオリンと、ラスアド・ホスニのパーカッションというチュニジア最強の伴奏者をしたがえて、鮮やかな速弾きで客をわかせた。

 他に、メディナには野外ステージもある。モロッコでグナワと呼ぶジャンルは、チュニジアではスタンバリーと呼ばれる。ゴンブリ (撥弦楽器)とカルカベ(金属製のカスタネット)と歌と踊りによる躍動的なリズムが続く。10月30日、パレ(宮殿)・ハイレッディンの中庭で、優しい夜風を感じながら楽しんだ。



ル・クラブ・バシュラフ・コンサート

 さて私たちのコンサートは、ラマダン中最後の土・日曜にあたる11月6日と7日だった。6日の会場は、ハルファウィンにあるマドラサ・サーヘブ・エッタブア。18世紀に建てられたモスクに隣接する建物で、聖職者たちが寄宿した場所だったらしい。先に会場に到着していたモフタール氏は、私の眼を見ながら「成功を」と言って握手したがその力は強く、私は委員長の並々ならぬ期待を感じた。

 開演予定の午後9時半になり、ステージに上がると、高名な音楽家サラーフ・マハディ博士や、駐チュニジア日本大使の小野大使が、最前列に陣取っているのが見えた。私たちのナイとチュニジア音楽の師であるスラーフ・エッディン・マナーも数列後ろにいて、暖かい視線を送っている。400ほどの席は満席で、テレビ・カメラも入り、すでに観客は熱気に溢れていた。

 1時間ほどの間、私たちはチュニジアの音楽を演奏していった。アジャム、アスバアイン、ハスィンなどチュニジアの旋法によるマルーフのメドレー。また20世紀の偉大な作曲家ケマイエス・テルナンの楽曲など。一曲ごとに、最後の拍手かと思えるほど盛大な拍手が、長く続いた。ナイやウードのタクスィーム(即興演奏)も皆真剣に聴いていて、フレーズの道程を心で感知しているかのように、終わりの音と同時に拍手が起こった。チュニジアの人々とこれほど音楽的に共感できることに、感無量だった。
 7日の会場は、前述したダール・ラスラム。チュニジアの優れたアーティストがよくコンサートをするこの館は、昔から私たちにとって憧れの場所だった。

 二日連続で公演したのでさすがにこの日は人が少なかったが、その少ない観客の中に、音楽評論で知られるジャーナリスト、ロトフィ・ベン・ハリーファがいたことが、後でわかった。11月11日付ル・トン紙の第一面に写真付きで、私たちの公演のレヴューが載ったのだ。それはつぎのようにしめくくられていた。「このトリオには、チュニジア音楽が浸透していて、演奏する喜びが感じられるのだった。ナイやウードによる導入や即興演奏には、アラブ音楽の本質的な楽器であるこれらの楽器を、完璧にマスターしていることが現れていた。尋常を超えるこのコンサートは、メディナ・フェスティバルがその忠実な音楽愛好家たちに贈った、とっておきの、きわめて美しい贈り物であった。」



フィナーレ

 メディナ音楽祭のトリは、チュニジアの誇るウードの巨匠アリ・スリティ。女性歌手ライラ・へジャイジュと選りすぐりの楽団をしたがえ、テアトルでフェスティバルを豪華にしめくくるはずだった。私も少し前にスリティ師匠の家を訪ね、リハーサル中の素晴らしい音を耳にしていたので、このコンサートを心から楽しみにしていた。

 ところが11月11日未明、病状の悪化が連日報道されていたアラファト議長が、ついにパリ近郊の病院で亡くなった。PLO本部が長年チュニスにあり、パレスティナと縁の深かったチュニジアは、カイロで行われる告別式にベナリ大統領が出席し、国は3日間の喪に服すこととなった。委員会のメンバーが口々に「今晩のコンサートは中止」と言っている。アリ・スリティの演奏を聴く貴重な機会を逃してしまったのはとても残念だったが、仕方のないことだ。後で聞くところによると、しばらく延期して演奏会は実現されたようだ。

 ともあれ、たくさんの忘れがたい思い出を残して、フェスティバルは閉幕した。そしてつぎのメディナ・フェスティバルにも、私たちは出演を依頼されている。第23回は2005年10月7日から31日まで。前回の演奏が好評であっただけに、今度はさらに良いステージを期待されていることだろう。美しいメディナの建物や観客を思い浮かべながら、いっそう練習に励むこの頃である。

『チュニジア通信』第18号(2005年9月25日 日本チュニジア協会発行)に執筆したものを転載しました。


LCB2004年メディナフェスティバル公演のページ
LCB2005年メディナフェスティバル公演のページ

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