ナスィール・シャンマとの出会い An Encounter with Naseer Shamma - Yoshiko Matsuda arab-music.com
松田嘉子のエッセー No.15

Naseer Shamma ナスィール・シャンマとの出会い

〜出会い〜

 アラブ古典音楽の徒弟にとって、ナスィール・シャンマの存在は夜空に燦然と輝く巨星である。とりわけウード奏者を志すものにとっては、まさに「憧れの人」であろう。もちろん私にとっても。
 かねてから、アラブ世界の代表的な音楽祭への出演を願っていた私たちのアラブ音楽グループは、フランスの音楽学者クリスチャン・ポヘ氏との交流がきっかけで、2002年5月パリ・アラブ世界研究所主催第3回音楽フェスティバルに出演した。ところが同研究所総長ナセル・アル・アンサリー氏は元カイロ・オペラハウス館長だったことから、今度はカイロ・オペラハウス主催アラブ音楽フェスティバル出演のお誘いをいただくことになった。
 エジプト国立文化センターであるカイロ・オペラハウス主催によるこの音楽祭では、アラブ世界から超一流の音楽家を招いて、10日間にわたって毎晩コンサートが催される。一方、世界から集まった音楽学者、ジャーナリストらによる研究発表、講演、会議を同時開催する、エジプト最大の文化的行事のひとつでもある。アラブ音楽家ならば誰でも一度は出演したいと熱望する、文字どおりアラブ音楽フェスティバルの最高峰である。これがナスィールとの出会いのきっかけでもあった。
 2002年11月のフェスティバル期間中、エジプト文化省が借り切ったザマレク地区のウンム・クルスーム・ホテルには、主宰ラティーバ・アル・ヘフニィ博士をはじめ60人ほどの関係者が宿泊し、みんなで毎日ホテルとオペラハウスの間を往復した。シリアの大歌手サバーフ・ファクリをはじめ、偉大な音楽家たちと日々の行動をともにし、親交を深めることができるという、恵まれた待遇を得た。
 11月4日夜、オペラハウス小ホールで、ナスィール・シャンマのソロ・リサイタルが開かれた。もちろんそれを見逃す手はない。私たちは同時間の大ホールのコンサートを抜け出して、小ホールに移動した。前列の席に座って食い入るように彼の演奏を堪能した。
 それまでCDでしか彼の演奏を聴いたことがなかった私は、録音物の持つ性質ゆえか、イラクスタイルにありがちな、アクロバティックなテクニック至上主義という先入観を持っていた。しかしながらその夜の演奏は、のっけから私の誤解をいとも簡単に払拭してしまった。直接ハートに触られた感じがした。こんなにストレートに魂に訴えかけてくるような演奏は、今まで聴いたことがなかった。といっても、けっして派手で露骨な表現ではない。むしろとても穏やかで気品にあふれ、凛としたたたずまいの中から、静かに人を包み込むように語りかけてくる演奏には、ときおり土の匂いすら感じられるのだった。またその日のナスィールは曲の合間に、自分で楽曲の説明をしていたが、その人柄がよくわかる優しい声にも惹かれてしまった。つぎつぎと繰り広げられる、すばらしいタクスィーム(即興演奏)や彼の手になる曲の数々。そして、エジプトの偉大なウード奏者、ムハンマド・カサブジへのオマージュとして演奏された、名曲「ディクラヤーティ(思い出)」には、思わず息を飲んでしまった。それまで数々のオーケストラで演奏され続けてきたこのアラブ世界の遺産を、ナスィールはウードソロで、斬新な変奏曲に生まれ変わらせたのだ。
 数日後、偶然オペラハウス内でナスィール・シャンマと遭遇した時、はじめに声をかけてくれたのは彼だった。ナスィールのリサイタルでは、彼のお弟子さんたちがほとんどの客席を占めていた中で、私たち日本人はとても目立っていたので、覚えていてくれたのだろう。私が先日の賛辞を述べるとナスィールはとても喜び、次週のコンサートではまったく新しいことをするのでぜひ見て欲しい、と言った。が、帰国日が迫っていた私たちには残念ながらカイロでその実現は無理だった。しかし今回の来日 公演では、その新しいグループ「オユーン」の演奏が聴けるので、とても楽しみだ。
 20世紀のイラク楽派は、トルコ人シェリフ・ムヒエッディン・タルガンがバグダッド音楽院で指導にあたったことによって生まれた、ウードのソロ・パフォーマンスを中心とする楽派である。技巧的にも革新を重ね、ウード音楽の領域を広げたと言える。
 そのイラク楽派の最前線にいるのがナスィール・シャンマだったが、エジプトに来てからの彼は、エジプト音楽に影響を受けて、そのスタイルにいくらか変化が見られると思った。伝統的なアンサンブルで演奏するのもその一つだし、エジプトのムハンマド・カサブジの楽曲や、ウンム・クルスームのレパートリーなどを取り入れることは、以前のナスィールにはなかったことである。
 もちろん、エジプト音楽も逆にナスィールから多大な影響を受けている。エジプトスタイルのウードは、歌の伴奏、あるいは作曲のための楽器として、またアンサンブルの中低域およびリズムを受け持つ楽器として活躍してきた。イラク楽派とエジプト楽派では、奏法や美学がとても違っていたものだが、近年ナスィール・シャンマの影響で、エジプトでもチュニジアでも、若い人たちはほとんどイラクスタイルのウード奏法を身につけている。ナスィールがエジプト政府の要請を受けて、1998年に設立した教育機関「アラブウードの家」の果たしつつある役割も計り知れないものがある。

〜アラブ音楽の醍醐味〜

 長い歴史に培われたアラブ音楽は、豊かな音楽遺産を持っている。ウマイア朝、アッバース朝の宮廷を中心として古典音楽が発達し、後ウマイア朝スペインではヨーロッパとの音楽とも混成していわゆるアラボ=アンダルース音楽が発達した。それは今日のマグリブ諸国で継承されている。また16世紀以降のオスマン帝国宮廷においてもさらなる発展や洗練を経た。大別すれぱマグリブ楽派、シリア・エジプト楽派、イラク楽派などに別れるが、いずれも精緻なマカーム(旋法)とイーカー(リズム)の体系を持つ。
 よく知られた名曲はどこの国のどんな演奏家によっても演奏されるが、毎回とても違うものになる。演奏家や楽団編成によって、同じ曲でもテンポや行き順、繰り返しの回数、ときにはメロディさえも、変わることがある。「楽譜」に忠実な西洋音楽ではなかなか考えられないことである。アラブ音楽は、その演奏家のその場限りでの演奏をとても大切にするのだ。まさしく「生きた」音楽である。
 口伝で継承されてきたアラブ音楽だが、現代の教育には西洋式のメソッドや楽譜が取り入れられ、五線譜に記譜された楽曲を習うことも多い。しかし私のウードの師アリ・スリティがよく言ったものだ。「音楽はここ(楽譜)にあるのではない、私の中にあるのですよ。それをこうして、あなたに伝えているのです。」そして、けっして楽譜に表すことのできない、めくるめくリズムとイマジネーションあふれるメロディを紡ぎ出し、私を圧倒するのだった。
 そして生の音楽の最たるものがタクスィームである。タクスィームは単独楽器による即興演奏。演奏家はマカームに対する知識や技量、自己の感性および創造性を駆使して、その場で音楽を作り出す。当然その場の雰囲気や聴衆の反応が、演奏に大きく影響する。アラブ音楽はこのように、演奏家と聴衆がともに作りだす、インタラクティブな芸術である。
 総じてイラク楽派の音楽家は、たいへん高い演奏技術を持ち、録音に強い人も多いが、やはりライブ音楽はその場で生まれるものであるから、ナスィール・シャンマの日本での演奏は、バグダッドのそれとも、カイロのそれともきっと違ってくるだろう。どんなものになるかは、ひとえに日本の聴衆の雰囲気にかかっていると言ってもいい。今回ナスィールのライブ・パフォーマンスに立ち会う私たちは、その場の空気を彼と共有し、音楽をともに創り出すという幸運を味わい、心からそれを楽しもう。

〜日本におけるアラブ音楽〜

 これまでアラブ音楽は、広範な「民族音楽」や「西アジア音楽」の一分野として、一部の人の興味をひいていたと思うが、アラブ圏でたいへん有名なアーティストでも、日本ではまったく知られていないのが現実だ。ウードを構えている著名な演奏家の写真には「ウード」とだけ記されていた。アラブ音楽の名演奏家や偉大な作曲家の存在は、しばしば看過された。
 一般的に日本においては、西洋音楽以外の音楽に対しては、古典・芸術音楽、民謡、宗教音楽などジャンルの区別に対する意識が低く、またそうした音楽には理論や演奏技術の巧拙もなく、みな「素朴」なものだという誤った認識すらままあった。もちろん未知のジャンルの個々の区別が付かないのは当然で、価値がわからないものはすぐに素朴、野蛮とされる。また日本のように、実際にアラブの一流の演奏家や歌手のパフォーマンスを見るチャンスがない環境では、それもしかたなかったとも言える。音源資料で言うと、たとえば「何々の音楽」という1枚のCDに、いろんなジャンルが区別もなく集められているものとか、とても一流の音楽家に演奏させたとは思えないCDも多い中では、なかなかすばらしい音楽に出会えるとは限らないというものだ。
 たいへん僭越だが、私たちはアラブ音楽をささえる価値観や歴史、美学なども含めて、出来る限り正確な知識と情報を提供しようと努力してきたし、また演奏という具体性の中でアラブ古典音楽の偉大な作曲家や楽曲の紹介にもつとめてきた。その地道な歩みが、少しずつ実りはじめているのを感じる。最近ではアラブ音楽に作曲家がいるということに驚かない人も増え、またマカームとかイーカーといった、アラブ音楽の大事な要素に興味を持つ人も多い。
 これまでムニール・バシールやアリ・スリティなど超一流の演奏家が来日したこともあったが、ほとんど一般の人に知られることはなかった。ナスィール・シャンマは久々に来日する現代最高の音楽家の一人であり、ほんとうに喜ばしいことである。ぜひ多くの人にアラブ音楽のすばらしさを味わってもらいたい。
 最後に日本語で読めるアラブ音楽の参考文献を2冊。サラーフ・アル・マハディ著松田嘉子訳「アラブ音楽」(PASTORALE出版、1998年)、アラブ世界でもベストセラーのアラブ音楽入門書。水野信男著「音楽のアラベスク〜ウンム・クルスームの歌のかたち」(世界思想社、2004年)、日本で初めてアラブ音楽のアーティストをテーマにした本。また、私たちが運営するウェブサイト、arab-music.comには、アラビア語、フランス語、英語、トルコ語などの参考文献を多数揚げている。

ナスィール・シャンマ日本公演パンフレット(2004年11月・国際交流基金)に執筆したものを転載しました。

ナスィール・シャンマ日本公演

国際交流基金のウェブサイト


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