チュニジアの音楽 arab-music.com
松田嘉子のエッセー No.8

チュニジアの音楽



チュニジア音楽の源流
 地中海沿岸にあって、太古の昔から多くの民族が興亡を繰り返し、入り混じってきた歴史を持つチュニジアは、音楽的にみても多様で独特な、面白いところである。
 チュニジア音楽は、大きく見るとアラブ音楽の一派をなしている。アラブ音楽は大別すると東西に分かれる。
 まず東は、エジプト・シリア・レバノン・イラクなど地中海東側のアラブ諸国と、オスマン帝国以来のトルコの音楽伝統を含む。その音楽伝統を"シャルキー"とか"オリエンタル音楽"(いずれも「東の音楽」の意)などという。
 一方西は、モロッコ・アルジェリア・チュニジア・リビアなど、北アフリカのいわゆるマグレブ諸国に共通するアラボ=アンダルース音楽の伝統である。すなわち、アラブがイベリア半島(アンダルシア)を支配していた9〜12世紀頃にそこでもっとも発展し、13世紀以降は再び北アフリカに持ち帰られた音楽遺産である。
 チュニジアでは、アンダルシア起源の伝統音楽を自国の文化遺産とみなし、"マルーフ"と呼んでいる。しかし、19世紀以降、とくにエジプト音楽の発展を機に、エジプトやトルコの影響が強まり、いわゆる"シャルキー"が多大な影響を持ってきた。したがって現在のチュニジアの音楽には、その二つの潮流が共存しているといってよいだろう。また、ベドウィンやブラック・アフリカの音楽からの影響も少なからずある。さらに、昨今の音楽家は西洋音楽も聞くし、学びもする。したがって、ひとくちに音楽家といっても、それぞれの教養はじつに多種多様である。大きくはシャルキー派とマルーフ派があって、通常両者は一緒に演奏しないが、しかし、両方の伝統を等しく愛する音楽家もいる。


さまざまな音楽のジャンル
 どこの音楽にもいわゆるクラシック音楽と、民謡やフォルクロール、そしてポップスなどのジャンルがあり、楽曲や伝承の仕方、使われる楽器、演奏の環境などがそれぞれ違う。それはチュニジアに関しても同じである。
 古典音楽に用いられる楽器には、撥弦楽器ウード、笛のナイ、チター属の弦楽器カーヌーン、パーカッションのレク、そしてヴァイオリンなどがある。ウードはリュートの原型でもある楽器。チュニジアには前世紀まで独特のチュニジアン・ウードが用いられていたが、しだいにオリエンタルのウードが主流となった。ナイは斜めに構えて吹く葦製の笛である。カーヌーンはイランなどで使われるサントゥールにも似ているが、バチではなく、両人さし指にはめた爪で弾く。レクはチュニジアではタールとも言い、タンバリンの一種だが、じつに多様な奏法があり、楽団ではリズムをリードする大事な楽器である。ヴァイオリンはもともとアラブの楽器ラバーブから発展したとされるが、前世紀以降、ラバーブに取って代わり、よく用いられるようになった。しかし西洋音楽と違う調弦や奏法を持つので、独特の味わいがある。
 古典音楽では、こうした楽器を用いて、室内楽的なアンサンブルや、各楽器のソロによる即興演奏などを行う。また、アンダルシア起源のヌーバ(歌と器楽の組曲)では、楽団と合唱団が交互に演奏しあう。
 フォルクロールに用いられる楽器には、ダブル・リードの管楽器ズルナ、バグパイプのメズウェド、バチでたたく太鼓のタブラなどがある。こうした楽器は概して音量が大きく、野外での演奏に向いている。結婚式や祭りなど、人々が歌って踊って楽しむような場面では、このような楽器が活躍する。チュニジアでは夏が結婚の季節で、毎晩のようにどこかで結婚式が行われるので、一晩中、歌や太鼓の響きが聞こえていることもよくある。
 アラブ・ポップスでは、エジプト歌謡がメジャーであり、その影響が強い。流行歌手の新曲が出ると、街のカセット・ショップで、毎日大音量で流している。伝統楽器も用いる一方でだんだん大編成になるオーケストラでは、エレキギター、オルガン、アコーディオン、シンセサイザーなど、西洋の楽器も多用される。
 またテレビ、ラジオなどを通じて、ヨーロッパやアメリカの音楽が大量に入ってくるのは日本と同様である。若者たちはアメリカのブラック・ミュージック、あるいはフランスのポップ・グループなども大好きだ。


「ラシディーヤ」と音楽家たち
 チュニスには「ラシディーヤ」という伝統音楽研究機関がある。1934年に設立され、その名は、音楽を愛するあまりに王位を捨てたフセイン朝2代目のベイ、ムハンマド・ラシード(1711-1759)に由来する。ラシディーヤの設立に関わり、多くの楽曲を作曲した音楽家に、ケマイエス・テルナン(1894-1964)がいる。彼は大衆歌謡も多く残し、今でも歌い継がれている。
 ムハンマド・トゥリーキー(1900-1998)やサラーフ・アル・マハディ(1925-)も、ラシディーヤの楽団長や校長を務め、偉大な業績を残した人たちである。ムハンマド・トゥリーキーは若い頃はヴァイオリニストとして活躍し、また才気溢れる作曲家として数百曲に上る古典楽曲を書いた。サラーフ・アル・マハディはチュニジア国歌を作曲し、「チュニジアの音楽遺産」全9巻の監修でも知られ、国際的学者として名声が高い。
 ちなみに私はチュニジアでウード奏者のアリ・スリティ(1918-)にウード奏法と古典音楽理論を師事したが、ムハンマド・トゥリーキー、サラーフ・アル・マハディのそれぞれにも講義を受けた。こちらから見ると、チュニジアの人々は遠く無関係のように感じられるかもしれないが、アリ・スリティは演奏家として、サラーフ・アル・マハディは音楽教育学者として、それぞれ一度来日経験を持っており、実はたいへんな親日家である。ムハンマド・トゥリーキーも、日本に関する関心が高く、ぜひ行きたいと熱く語った。


演奏家たち
 チュニジアには、すぐれた演奏家がたくさんいる。たとえばウードだと、先にあげたアリ・スリティや、アフマッド・カーライが巨匠である。そして若手には、ECMから4枚のCDをリリースしてヨーロッパでも人気の高いアヌワル・ブラヒムがいる。彼は映画音楽や舞台の音楽も手がける、才能豊かな現代的ウード奏者・作曲家である。カーヌーンでは、ハサン・ガルビやフェトヒ・ズゴンダなど。またヴァイオリンではアフマッド・カーライの兄であるリダ・カーライや、ベシール・セルミなどがいる。若いが実力ナンバーワンのレク奏者である、ラスアド・ホスニもあげておきたい。
 ラマダン(断食月)には、夜のコンサートが多く催される。また夏場も各地でフェスティバルが多く、コロセウム(野外劇場)などで夜通し演劇や音楽を楽しむ場合もある。


きらめくスター(歌手)たち
 チュニジアにはもちろん、心を溶かすような甘い歌声を持った歌手たちも、綺羅星のように現れては活躍した。代表的な歌手に、男性ではアリー・リヤヒー(1912-1970)やヘディ・ジュイニー(1909-1990)、女性ではサリーハ(1914-1958)やハビーバ・マスィーカ(1893頃-1930)などがいる。
 アリー・リヤヒーはその美しい歌声によりムトラブ・アル・ハドラー(緑の歌手)と呼ばれた。ヘディ・ジュイニーは代表作「タハティル・ヤスミナ・フィ・リール」(「夜ジャスミンの木陰で」)の他、ルンバやタンゴ風などモダンな曲を数多く作り、作曲家としては本名ムハンマド・ベルハスィンの名前で活躍した。アルジェリア生まれの女性歌手サリーハは、フォルクロリックな味わいのある歌も得意としたが、その声に魅せられて、ケマイエス・テルナンやムハンマド・トゥリーキーなど一流の作曲家が彼女のために作曲した。ハビーバ・マスィーカはチュニジアでも活躍したユダヤ系歌手たちの一人。容姿も魅惑的でたいへんな人気があったが、恋人に殺されるという悲劇的な結末で生涯を終えた。こうした歌手たちの歌は、今でも愛され、歌い継がれ、ラジオからいつも聞こえてくれば、カセットも売れ続けている。
 現在活躍中の中堅歌手としては、ロトフィ・ブシュナクがいる。彼はチュニジアのみならずエジプトや広く中東の古典歌曲をレパートリーに持つ、正統派歌手である。


地中海アラブ音楽センター
   このように音楽的にも豊かなチュニジアは、ヨーロッパの芸術家たちの心をも惹きつけた。チュニジアの土地を愛し、アラブ音楽に魅せられたバロン・ロドルフ・デルロンジェ(デルロンジェ男爵)は、シディ・ブ・サイドの一角に館を構え、画家そして音楽学者として四半世紀あまりを暮らし、1932年そこで生涯を終えた。彼がチュニジアの音楽家たちの手を借りながら執筆した「アラブ音楽」全6巻は、現在でも貴重な資料である。
 近年、デルロンジェ男爵の館は「地中海アラブ音楽センター」として再スタートした。地中海を見下ろす広い庭園やアラボ・アンダルース風の建築は素晴らしく、時々コンサートも催される。内部では、楽器のコレクションや歴史的音楽家たちの写真など、興味深い資料が一般公開されているので、興味のある方は訪れてみるとよいだろう。

チュニジアガイドブック表紙 1998年9月・楽天舎ブックス《チュニジアガイドブック》に掲載したものから抜粋転載しました。


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