リアル・ワールド・スタジオ報告 arab-music.com
松田嘉子のエッセー No.3

ウード挿絵

リアル・ワールド・スタジオ報告

 パレスチナ人のウード奏者、アデル・サラマーの独奏を収録したCD、「ソロ・アデル・サラマー」がこのほど完成して、パストラル・レコードの第3弾となった。おかげさまで、日本でアラブ古典音楽のCDを出版する珍しいレーベルとして、一部には少しずつ認知され始めている。1、2作目の「チュニジアのナイ」と「ヴァリエテ・ミュージック・アラブ」は、私たちの研究の本拠地であるチュニスで録音したものだったが、今回は、縁あってイギリスで録音をした。

 アデル・サラマーとは、1992年の春、チュニスで知り合った。チュニス高等音楽院に特別講師として招かれていたアデルは、バグダッドでイラク・スタイルのウード奏法を身につけ、自分のソロ・パフォーマンスのスタイルを完成したところであった。新進気鋭のアーティストとして、ヨーロッパやアフリカを中心に、精力的にコンサート旅行を開始していた。92年当時はイタリアに住んでいたが、間もなくイギリスのブリストルに拠点を移した。

 その後、たまに手紙のやり取りはしても、互いに会う機会はなかった。94年の夏には、アデルがWOMAD(World Of Music And Dance。いわゆるワールド・ミュージックのミュージシャンを支え、世界中でコンサート活動を行なっている組織)主催のコンサートで来日したこともあったが、その時こちらはチュニジアにいたので会えなかった。

 一緒に仕事をしようという話が具体化したのは、95年の暮、私がブリストルのアデルに電話をかけてからである。定期的に自分のコンサートのデモテープなどを送って来る積極的なアデルには、こちらも常に注意を向けていたし、その成長に期待もしていた。私たちもレーベルを設立して2年経ち、チュニジア以外にも目を向け始めていた。

 意外にも、アデルはちょうどCDを2枚録音し、そのリリースを待っているところであった。1枚はスペインのギター奏者エドワルドとの共演、もう1枚は、インドのサロード奏者シュリダールとの共演だった。

 シュリダールとの作品は、リアル・ワールド・スタジオ(Real World Studios)で録音されたと言う。前述したウォマッドと、リアル・ワールド・スタジオは、ともにイギリスのビッグ・アーティスト、ピーター・ゲイブリエルが行なっている事業である。さらにアデルは、私たちと制作するCDを、やはりリアル・ワールド・スタジオで録ったらどうかと提案して来た。

 何やら夢のような話だったが、96年が明けて早々、リアル・ワールド・スタジオのスタジオ・マネジャーとコンタクトを取り、小スタジオと、アデルが贔屓にしているエンジニア、ベン・フィンドレイの、3月のスケジュールを押さえると、にわかに現実的な気分になった。アデルの口利きのおかげか、けして高くはない値段が提示された。日本で考えれば、逆に安いくらいである。その上、宿泊施設や食事も用意されるというではないか。いったいどんな所なのだろうと、期待は膨らんだ。96年3月は、巷で狂牛病騒ぎが持ち上がり、EUによる英国牛の禁輸措置が取られた時期だった。ロンドンでは、レストランのメニューに「国産牛肉は使っておりません」と書いてあったり、テレビや新聞では、子供を持つお母さん方が「食卓に牛肉は出さない」とか、「学校給食のメニューから牛肉をはずしてほしい」などと訴える姿を中心に、外国での反響などを毎日伝えていたが、イギリス国民は比較的冷静な様子であった。肉の値段は日に日に下がったが、老人を中心に「腹の座った」人たちは平気で通常どおり牛肉を買って食べていたし、食べたくない人は黙って避けていた。

 ロンドンのパディントン駅から列車で約2時間、西方へ向かうと、ブリストルの街に着く。ロンドンに比べれば、静かで小さな街だ。ヴィクトリア朝時代の家屋が多く建ち並び、落ち着いた雰囲気を醸し出している。昔から船舶業で有名な港があり、街の西端クリフトン地区には、エイヴォン川に懸かる高いサスペンション・ブリッジがあって、切り立った崖と川の眺めが美しい。街を一望できる小高いブランデン・ヒルに上ると、木陰でリスと遭遇した。

 4年ぶりに会うアデルは、ずいぶん変わっていた。やっと30歳になるにしては、ずっと老けて見える。よく見ると、以前にはなかった髭を口の周りに生やしていた。この髭が、実は後で問題になった。イギリス人のカメラマンを雇ってフォト・セッションを行なった時、私たち日本人スタッフ6人は全員、剃った方がいいという意見で、最終的にはアデルが妥協して「髭のない」写真を撮った。

 アデルによると、髭の有無に関わらず、アラブ人は自分を老けて見せたいのだそうだ。人間的成長、つまり「成熟」に価値を置いているようで、そこは、日本人が一般に若々しい顔を好むのとは、少し違うようだ。

 実際、音楽的にもこの4年間で、アデルはかなり成熟していた。イラク楽派から出発した彼も、その後いろいろなレコードやCD、多くのアーティストたちの演奏を聞き、自分の演奏スタイルの幅を広げていた。昔はあまり好まなかったエジプト楽派からも、良いところは積極的に取り入れようとしていた。また、異なったジャンルのミュージシャンたちと共演したり録音したりすることで、多様な価値観を身につけていた。

 もちろん、こちらも変化していた。初めはエジプト楽派一辺倒だったのだが、アラブ音楽に対する知識や理解が増すにしたがって、演奏家一人一人の個性と技を味わえるようになっていた。

 録音の仕事は、ア−ティストと制作する側、相互の確かな信頼と理解なくしては成り立たない。その意味で、アデルと私たちが一緒に仕事する機が熟していたと言えるだろう。録音に入る前の2週間は、双方がそれを確認するかのように、一緒に多くの音楽を聴き、演奏し、議論しあい、プログラムをつめていった。

 3月半ば、いよいよリアル・ワールド・スタジオに乗り込んだ。所在地のボックスとは、ブリストルから車で小1時間、ロンドンの方へ戻ったところにある、小さな田舎町だった。古くからの観光地バースにも近い。

 リアル・ワールド・スタジオの敷地は、そのボックスの町の広大な一角を占めていて、まるで大地主の所有する農園といった風情だった。今やインターネットを通じて外国のミュージシャンとリアル・タイムに共同制作をしたり、つねに新しい話題を提供するピーター・ゲイブリエルのイメージからは、とても想像できない環境だった。さすがイギリス人と言うべきか、こんなにのどかな所から最先端の情報を発信していたのかと、いささか虚を突かれた感じだ。

 敷地内には、入りくんで流れる川や広い池、美しい庭園などがあり、そこに点在する一見古い民家のような建物が、それぞれスタジオやオフィス、食堂、宿泊施設などに、改造されているのだった。ウォマッドのオフィスなどは、さながら大きな畜舎といった外観である。しかし、インテリアや何気なく張られているポスターなどは、たいへんアーティスティックだ。メインの大スタジオだけは、巨大な黒い戦車を思わせる近代的な建築物だったが、それさえもどこか手作り風の味わいがあり、しかも池の上に建てられていて、内部の床からは、分厚い板ガラスを通して水の流れが見えるという、心憎いばかりの趣向が凝らされていた。ハイテクの国日本から来てみれば、何も新しいものや、お金をかけたものだけがいいものではないんだよと、見せつけられたような気がする。

 食事はハウスと呼ばれる食堂で、毎回心のこもった料理が用意された。ハウスでは、やはり内外から録音に来ているミュージシャンたちと、自然と顔見知りになる。  「君たち、日本人?僕は、スペインから来た歌手だ。もうここへ来て2週間になるけど、やっと録り終わったんだよ。君たちはこれから?頑張ってね。ここでは、ほんとにいい仕事ができるよ。」という具合に。

 仕事に疲れたら、水鳥の浮かんでいる池を眺めたり、近くの森をゆっくりと散策したりして、リフレッシュできた。牧場に隣接しているので、牛が入って来ないための柵があり、鍵をかけ忘れないようにしなくてはならない。

 レコーディング・エンジニアのベンは、スタジオから歩いて30秒のところに住んでいて、毎晩遅くまで、惜しまず働いてくれた。その日の仕事が一段落すると、夜中の食堂で皆で軽くビールなどひっかけて終わりにする。翌朝遅く、ベンか私たちがアデルをコテージに起こしに行き、作業再開。

 ウォマッドの責任者、トーマス・ブルーマンを始め、多くのスタッフもほとんどブリストルやボックス周辺に住んでいる。ウォマッドとリアル・ワールド・スタジオはそれぞれ独自の活動をしているが、両者でひとつの大きな企業であり、コミュニティなのであった。それがたいへんユニークな点である。スタッフは皆フレンドリーで、そこに属して音楽制作に関わっていることを、何より楽しんでいる様子なのには好感が持てた。

 日本にももちろん立派なスタジオや設備はあるが、一番大きく違うのは、1分1秒、時間に追われるようにして、仕事をしなくてすむことだ。機材ひとつひとつやエンジニアまで、時間いくらで計算しなくてはならない日本では、どうしても時間内にそつなく仕上げることだけが先行してしまう。演奏家の中にも、妙に器用で一定の時間内で必ず弾けるが、そのかわりに面白くもないという人がたくさんいる。結局、莫大なお金をかけて、大した作品が出来ないことも珍しくない。

 リアル・ワールドでは、大事なところには十分時間をかけて集中し、その後はたっぷり休憩を取る、という理想的なプロセスを辿ることが出来た。そうした中で、アーティストもエンジニアもプロデュースする側も、皆リラックスして、それぞれのクリエイティヴィティを発揮できたように思う。とくに今回のウード・ソロのような繊細な音楽には、こうした環境は有難かった。

 私たちの仕事を終えた翌日、ベンは次の仕事のために、インドへ旅立って行った。「無事に帰って来いよー」と書かれた、リアル・ワールドの同僚からの寄書きを携えて。有名なパキスタンのカッワーリー歌手ヌスラットの録音を手がけた、このもの静かで才能豊かなエンジニアは、あちこちでひっぱりだこなのだ。

 こんな状況で制作されたCDにもしご興味を持たれたら、ぜひ「ソロ・アデル・サラマー」(PAS003)をご高聴いただきたい。アラブ音楽におけるウードの地位、楽派間の差異、インプロヴィゼーションなどについて、詳しいことはライナー・ノーツに書いた。ともかくここであれこれ言うより、自由にお聴きいただいて、ご感想などいただければ、望外の喜びである。(嘉・イラストも)

1996年11月・第三次《同時代》創刊号に掲載したものに加筆訂正しました。


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